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2013.12.30 (Mon)

ヒガシ東京のさらにヒガシを照らす“灯り”こぼれる小さなホテル─「カンガルーホテル」@山谷

ヒガシ東京には最近、個性的なゲストハウスやホステルがいくつか誕生していますが、今回ご紹介するカンガルーホテルは、それらとはちょっと趣きが違うのかもしれません。コンクリート打ちっぱなしの建物はもちろんおしゃれなのですが、ガラス張りのホテルからこぼれる灯りは、ひっそりとした街を小さく照らす“灯台”のよう。自然に「ただいま」と言いたくなってしまう、どこか懐かしい感じのホテルなのです。

(写真:コンクリート打ちっぱなしのオシャレな建物が突如“山谷”に!?)
(写真:コンクリート打ちっぱなしのオシャレな建物が突如“山谷”に?!)

かつて日雇い労働者の街は、外国人や若者が旅する街へ

浅草のすぐトナリ、昔から「山谷」と呼ばれる地域は、かつて高度経済成長を支えた肉体労働者が泊まる簡易宿泊所が立ち並ぶ安宿街です。でも時代は変わり、肉体労働をしながら宿泊する人はほとんどいなくなり、今でも多く残る宿泊施設の約9割は生活保護の受け入れ施設になっているといいます。またその一方で、「2002年の日韓ワールドカップをきっかけに外国人観光客が増えてきましたね」と、カンガルーホテルのオーナー、小菅文雄さんは話します。

(写真:テーブルとソファが配されたロビー。コーヒーマシンもあるので、旅の計画を練るのにぴったりのくつろぎスペース)
(写真:テーブルとソファが配されたロビー。コーヒーマシンもあるので、旅の計画を練るのにぴったりのくつろぎスペース)

「東京近辺は宿泊代が高くて外国人の旅行者はとても泊まれない状況でした。そんな状況を見て、この辺の2軒くらいの安価な宿泊施設が外国人向けに英語でのインフォメーションを行なうようになったんです。もともと最寄駅の南千住駅は上野駅や日暮里駅まで5分程度と、海外からのアクセスにはとても便利な場所です。また自転車を使えば浅草めぐりだって楽しめる恵まれた立地。山谷の宿泊は便利で安いという口コミが海外の旅行サイトなどで広がり、それにつれて外国人観光客も増えてきましたね」

(写真:ホテルのフロントのカウンターは下駄箱が設置されている)
(写真:ホテルのフロントのカウンターは下駄箱が設置されている)

さらに、日本人でも「山谷」という言葉に偏見のない若い人たちが、就職試験や受験のために宿泊するようになったといいます。

そんな場所に2009年にオープンした「カンガルーホテル」。オーナーの小菅さんは雑誌広告などを手掛けていた元グラフィック・デザイナー。カンガルーホテルの向かいで明治時代から続く旅館「小松屋」で生まれ育ちました。なぜデザイナーからホテルオーナーに転身したのでしょうか。

デザインとしての人生×宿屋で生まれ育った人生=カンガルーホテルに

「学校卒業後はこの地を離れて暮らしたこともありますが、15年前に両親が働けなくなってしまったので、途中からは親の世話と、旅館とデザイナーの仕事を続けていたんです。その頃結婚もして子どもも生まれた時期だったので、次第に家族でできる仕事をしたいな……と思いはじめました」

そんなとき、偶然実家の向かいの土地が競売に出て、軽い気持ちで入札をしたら落札できてしまうなど、なにか運命に動かされるように、新しいホテルを作ることになっていったのだそうです。

ホテルを作るにあたってこだわったのは、稼業を引き継ぐのではなく、これまでの自分の人生経験を生かしたいということ。

「僕の人生を単純に2つに分けた場合、生まれてから20歳までは宿泊施設で育ち、20歳から40歳まではデザインの仕事をしてきたわけです。言ってみれば自分にあるのはこの2つなんです。だからそれらを融合させて、人生の集大成のような空間を作り上げたかった。まったく新しい感覚で始めるのではなく、旅館の息子が宿屋を始めることにも意味があると思いましたね」

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(写真:オーナー・小菅さんの好きなものがちりばめられ、楽しい雰囲気いっぱいのロビー)
(写真:オーナー・小菅さんの好きなものがちりばめられ、楽しい雰囲気いっぱいのロビー)

建築家探しの第一歩は、新宿のOZONで400人もの建築家ファイルを閲覧することから始まりました。最終的に3人に候補を絞り、アポイントを取り、建築プレゼンテーションを行ってもらい、その結果、「同世代で雑談の延長でモノづくりができそうだ」と感じた建築設計事務所「APOLLO」に決定。信頼するところは一任し、話し合いをするところはトコトン話し合う……。そんな時間を重ねること約2年、カンガルーホテルは完成しました。

1つのホテルの誕生で街を変えたい

コンクリート打ちっぱなしのホテルのドアを開けて一歩中に入ると、ロビーには小菅さんが自ら買い付けたヴィンテージの家具が並び、ミッドセンチュリーなインテリアが広がります。小学校の下駄箱を模したような受付カウンターも、懐かしく、おしゃれな空間を演出しています。

(写真:無料で使えるパソコンスペース。パソコンはMacを2台用意)
(写真:無料で使えるパソコンスペース。パソコンはMacを2台用意)

(写真:マウスパットのカッターマットはデザイナー時代のもの)
(写真:マウスパットのカッターマットはデザイナー時代のもの)

「ホテルのコンセプトは“過不足なく泊まれる”ということ。僕はホテルに泊まるとき備え付けのアメニティは使わないので、それらにお金を落とすのはもったいないと思っていたんです。それで、歯ブラシやタオルなど使わないものはなくして、シングルで一泊3,300円という低価格に設定することができました。ただし、各部屋にテレビ、有線LAN、冷蔵庫など必要最低限なものは完備していますよ」

ロビー突き当りの階段を上がった2・3階がメインの宿泊スペースになっています。シンプルでモダンな空間にまとめられていて、洋室のフローリングは手入れが必要な無垢材というのも、小菅さんのこだわりのひとつ。

「メンテナンスなどの手間はかかりますが、時間が経つと味が出てきていいかなと思ったんで。ほかにもいろいろやりたかったことはあったんですが、ホテルの建築のため、消防法や保健所の制約もかなり多くて。でもせっかく働く場所ですから、かなり好きなものや趣味が随所に反映されていますね。ロビーに活版印刷の機械がオブジェとして置いてあったり、ホテルの看板をライトテーブルで作ってもみたり。デザイン関連の小物をさりげなく飾ったりしています(笑)」

(写真:和室は3.6畳には黒い畳が敷かれている。もちろんテレビ、冷蔵庫、LANも完備されている)
(写真:和室は3.6畳には黒い畳が敷かれている。もちろんテレビ、冷蔵庫、LANも完備されている)

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(写真:洋室も3.6畳。無垢材のフローリングが明るい雰囲気だ)
(写真:洋室も3.6畳。無垢材のフローリングが明るい雰囲気だ)

ホテルの入り口に立ってふと思うのは、ドア以外がガラス張りになっていて、外部に対して空間が開放的であること。ロビーの灯りが通りにこぼれ、周囲を明るく灯らしています。

「昔からのドヤ街なので、以前は若い女性や親子連れがこのあたりを通ることはほとんどなかったんです。でもホテルが建ってから人通りが増えましたね。明るいし、ガラス張りなので『なにかあるのかも』ってちょっと面白くて通っちゃうというか。街の一角が変わると街の雰囲気も変わるもんなんですよね」

山谷がカオス漂う“SAN-YA”に生まれ変わるきっかけになれば

「ホテルの屋上から山谷の街が一望できるんですが、ホテルが完成したときに屋上から見た光景に唖然としました。ここから歩いて100メートルくらいのところに商店街があるんですが、錆びついたアーケードや、朽ち果てた無人の家屋が見えて……。あまりの寂しさにここは僕が生まれ育った街じゃないって思ってしまいました。この街をなんとかしたい、でも何ができるかというと、僕はこの小さなホテルから何かを発信したり、それによって人が集まるということしかできないと思うんですよね」

(写真: カンガルーホテルの屋上から。左右に伸びる鉄のはしごのようなものが、商店街アーケードの屋根だ)
(写真: カンガルーホテルの屋上から。左右に伸びる鉄のはしごのようなものが、商店街アーケードの屋根だ)

(写真:ロビーに置かれたホテルの看板はライトテーブルにトレーシングペーパーを貼って作ってもの)
(写真:ロビーに置かれたホテルの看板はライトテーブルにトレーシングペーパーを貼って作ってもの)

(写真: 2・3階に洗面やトイレなど共用のユーティリティーを完備)
(写真: 2・3階に洗面やトイレなど共用のユーティリティーを完備)

実際、山谷もカンガルーホテルがきっかけのひとつになったのか、個人経営で味のあるホテルがいくつか誕生しています。浅草・花川戸でも、空き店舗を再生したシェアオフィスやシェアカフェを運営する「LwP asakusa」ができてから、商店街に新しい店舗が増えたりと、今までとは違う風が吹いてきています。街の“シンボル” のような存在は、その街を「なんだか面白そうだ」と人々に感じさせる吸引力があるのかもしれません。つながっていく、街のチカラ。

「新しい考え方を持った若い人たちがここに来て、いろいろ挑戦してくれないかなって、実は思っています。外国人がたくさん訪れたり、古くからの居酒屋さんがあったりとカオス感は充分ありますから、そんな部分は活かしつつ、新しいエッセンスが加われば、面白く変わっていけるじゃないかと思うんです」

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(写真:1階の廊下にはホテル近辺の情報を書き込んだ黒板が。ガイドブックには載っていないような地元情報をもとに散策してみては?)
(写真:1階の廊下にはホテル近辺の情報を書き込んだ黒板が。ガイドブックには載っていないような地元情報をもとに散策してみては?)

(写真: カンガルーホテルのオーナー、小菅文雄さん。スタッフは現在3名で、日替わり店長スタイルで運営している)
(写真: カンガルーホテルのオーナー、小菅文雄さん。スタッフは現在3名で、日替わり店長スタイルで運営している)

「街づくりなんて大それたことはできないんですが」と言いながら、小菅さんが構想している計画を教えてくれました。

「向かいの実家『小松屋』を建て直して、こことはまた違ったタイプのホテルを作ろうと考えています。来年4月には着工して秋には完成させたいですね。ここに2つホテルができるだけで、街の雰囲気が変わるというか、面白そうと思ってくれる人も出てきてくれるんじゃないかって、思います。今度は人のぬくもり感を前面に出せるような建物にしたいですね」

東京観光はもちろん、ヒガシ東京へショートトリップしたくなったら、“SAN-YA”の発信基地、カンガルーホテルに滞在してみては?新しいアイデアや「面白い」インスピレーションがどんどん湧いてくるホテルですよ。

この記事を書いた人/提供メディア

Chiho Takita

空き家&空き店舗活用研究員。普段はマネー誌のライターだが、地域に根ざした暮らしと仕事をしたいと思い、東東京マガジンライターに。浅草~向島界隈を中心に街歩きをしていたところ、空き家&空き店舗を再生して図書館やギャラリー、カフェ、イベントスペースに活用している事例を知り、これらの取材をするように。浅草在住。

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