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2018.06.06 (Wed)

「共に航海できる仲間を見つけて」デザビレ第1期生ブランドの18年

eyecatch
Kanmi.(カンミ)
代表取締役・デザイナー
石塚由紀子さん

都営浅草線の浅草駅から徒歩5分。浅草通りに面した細い路地をひょいと曲がったところに、革小物の工房ショップ「Kanmi.(カンミ)」はあります。

焼きたてのパンのような、ふっくら触り心地のいい革のバッグや財布がKanmi.の商品の特徴。持ち手を選ばないデザインは、お気に入りを長く使い続けたい女性たちに人気です。最近は、親子3代で見に来るお客様も多いのだとか。

2017年に建て直しをしたばかりという明るい工房の一角で、代表の石塚由紀子さんにお話を伺いました。

革の端切れが宝の山に見えた

──石塚さんは、台東デザイナーズビレッジの第1期生だそうですね。デザビレに入る前から革小物を作っていたんでしょうか?

革小物を作り始めたのは、実はデザビレに入居する少し前からなんです。

小さい頃からものづくりが好きで、高校卒業後は彫金の専門学校に行きました。彫金の学校を卒業した人って、ジュエリーメーカーに就職することが多いんですよね。でも私は宝飾品にはあまり興味がなくて……。かわいくてほっこりするデザインのものが好きだったので、アクセサリーメーカーに就職しました。その後、26歳のときにアクセサリー作家として独立したんです。

──アクセサリーから革小物に転向した経緯は?

(一緒にKanmi.を経営している)主人とはその頃から付き合っていたんですが、彼は当時、浅草にある靴の抜き型の会社で働いていたんです。ある日、革問屋さんから革の端切れをたくさんもらってきてくれて、それが私には宝の山に見えました。それから少しずつ革に興味を持ち始めて、革のポーチやアクセサリーなどを作り始めました。

Kanmi.の革小物は、ふっくらしたパンのような、独特な風合い

Kanmi.の革小物は、ふっくらしたパンのような、独特な風合い

──デザビレに入ろうと思ったのはなぜですか?

結婚する前、私は実家で作業をしていました。主人も作業を手伝ってくれていたんですが、主人の住んでいる浅草と、私の実家はちょっと距離があったんです。浅草橋まで材料を買いに行くことも多かったので、東東京周辺で作業場を借りたいと思っていたんですよね。そんなとき、たまたま台東区の区報でデザビレの入居者募集を見つけました。浅草にも浅草橋にも近いし、「ここだ!」と思って応募したんです。

──できたてほやほやのデザビレの様子は……。

鈴木村長(インキュベーションマネージャーの鈴木淳さん)はじめ、入居者もみんな手探りの状態でしたね。同じ頃に創業した人ばかりだったので、いろいろ助け合ったり相談し合ったりしました。同期のm+(エムピウ)さんに、バッグの型紙の引き方を教えてもらったこともあります。

「デザビレでは仲間と助け合っていました」と話す石塚さん

「デザビレでは仲間と助け合っていました」と話す石塚さん

「会社を辞めて2人で頑張ろう」

──ブランドのターニングポイントはありましたか?

デザビレに入居したての頃は、家族の手も借り、夜中まで縫って糸を切って……という感じでした。でも2年目に入ると、商品を置いていただける店舗も増えて、すごく忙しくなってきたんです。

主人は仕事が終わった後にKanmi.の作業をしてくれていましたが、数量的にきつくなってきたので「思い切って会社を辞めて、2人で頑張ろうか」ということになりました。

──不安はなかった?

主人が会社を辞めたときに「もし失敗したとしてもやり直せる年齢だよね」という話をしました。1年頑張ってみて、ダメだったらまた考えればいい。まずは2人で頑張ってみようと、覚悟を決めたんです。

販売数が増えて手が追い付かなくなった時期も(写真は現在の工房での作業の様子です)

販売数が増えて手が追い付かなくなった時期も(写真は現在の工房での作業の様子です)

──創業当初、最も苦労したことは何でしたか?

主人が会社を辞めた後、自分たちの手だけではいよいよ追い付かなくなってきたので、職人さんに仕事をお願いし始めました。職人さんとのやりとりは、最初は苦労の連続でしたね。Kanmi.の商品の作り方って、職人さんからすればラフすぎるんです。普通のお財布やバッグは、芯材が入ってかっちりしているけれど、私たちが求めているのはクニャッとした形で触り心地が良いもの。

職人さんも、芯が入ってないと縫いづらいようで、よく「普通はこういうふうに縫わないんだよ」と言われました。何度もやりとりを繰り返したおかげで、最近では「Kanmi.さんはこういう造りだよね」とわかってもらえるようになりましたね。

「Kanmi.らしさ」を職人さんに理解してもらうのに苦労した

「Kanmi.らしさ」を職人さんに理解してもらうのに苦労した

お金をかき集め一軒家を買い取る

──デザビレを卒業した後、すぐ浅草にアトリエを構えたんですか?

そうです。浅草周辺がいいと思っていたので、デザビレを出るときに物件を探しました。この建物は当時、2階建ての古い民家だったんですよ。戦前に建てられたという噂も聞きました。

私たちはもともと1階の一部分だけを借りていて、1階の奥と2階を大家さんが使うような形でした。でも、アトリエを構えて1年ほど経ったときに、大家さんが病気で亡くなってしまったんです。

身寄りのない方だったので、そのままだと土地と建物が国のものになってしまうという話があって……。慌てて国に問い合わせたところ、国から買い取ることも可能と言われました。その頃、お金が全然なかったんですけど、場所も気に入っていたし引っ越したくなかった。だから銀行にお願いして、なんとかお金を貸してもらい購入したんです。

その後すぐに東日本大震災がきて、扉などが歪んで開かなくなってしまったので、少しだけ補修や耐震補強をしましたね。やっぱりそのままだと危ないので、昨年建て直しをしました。

2016年には工房ショップから徒歩3分の場所に新店舗もオープン

2016年には工房ショップから徒歩3分の場所に新店舗もオープン

──ブランドを始めて18年目になりますが、お客様とのエピソードで印象に残っていることはありますか?

先日、20代の若い方がいらっしゃって、大学入学のときにお母さんがKanmi.のお財布をプレゼントしてくれたという話を聞かせてくださいました。その方は今年から社会人になったそうで、「初任給でお母さんにバッグをプレゼントしたい」と買い物に来てくださったんです。そういう家族のストーリーを聞くと、うれしいなと思いますね。

「お父さん向けのユニセックスな商品も作っていきたい」(石塚さん)

「お父さん向けのユニセックスな商品も作っていきたい」(石塚さん)

継続のためには仲間が不可欠

──これから創業を目指す人に向けて、アドバイスをお願いします。

何かを始めることは、それほど大変じゃないと思います。でも、続けていくのはすごく大変。強い気持ちを持っていないと、継続するのは難しいです。

Kanmi.はいま、社員5人とパート2人、それから私と主人の計9人で運営しています。デザビレにいるときから来てくれていたスタッフが一番の古株ですね。Kanmi.の募集をたまたま知って、愛知県から上京してくれたスタッフもいます。私も心が負けそうになることがありますが、いざというときはみんなで助け合うことができると思って頑張っています。

──気の合う仲間を見つけるのも大事なポイントですね。

そうですね。デザビレの人たちとも、技術を教え合ったり、お互いに相談し合ったりしていました。事業のあり方とか、「こういうお客様がいるけどどうしたらいい?」とか。

何かあったときに相談できる人がいれば、自分が間違った考え方をしているときも正してくれますよね。

07
Kanmi.(カンミ)
2000年創業。2004年、台東デザイナーズビレッジに入居し、2007年に卒業。同年、浅草・雷門に工房ショップを構える。2016年、工房ショップから徒歩3分の場所に店舗をオープン。やわらかな風合いや、ぬくもりあるデザインを大切に、がま口型のバッグや財布など、ハンドメイドの革小物を作り続けている。
〒111-0034 東京都台東区雷門1-1-11
http://www.kanmi.jp/

(写真:樋口トモユキ)

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