2013.10.28 (Mon)
浅草花柳界Vol.1 究極の贅とおもてなしの場“浅草花柳界”の芸能プロダクション「浅草見番(けんばん)」を覗いてみた!
浅草寺北側の雷5656会館の角を曲がると、風流なしだれ柳の並木道(文字通り”柳通り”と呼ばれています)が目の前に現れます。江戸時代より脈々と続いてきた華やかな浅草花柳界、そしてその大切な総合運営をする「浅草見番(別名:東京浅草組合)」がここにあります。
花柳界と聞くと、とても敷居が高いイメージがあるかも知れません。
ところが「浅草見番」事務長の千葉慶二さんはひとつ返事で取材を受けてくださり、さらに建物内を写真撮影させていただく貴重な機会をいただきました。
浅草寺の北、「浅草見番」前の風流な柳通り(左)・「浅草見番」の入り口(右)。昭和30年に現建物に移りました。
芸者さんに関する文献はたくさんあると思いますが、ここでは「見番」という視点から浅草花柳界を見てみましょう。
「浅草見番」は浅草花柳界における芸能プロダクション
「見番」という存在を聞いたことがない方も多いかも知れませんので簡単に言うと、浅草花柳界は「見番」中心に廻っています。
“料亭”・“芸者”・“置屋(芸者の養育・所属事務所)”からの組合費で総合運営されている、とても忙しく、重要な場所が「見番」です。(「見番」では現在芸者さん達を熟知した4名の方が働いていらっしゃいます)
いったいどうやってお客さんが芸者さんの究極のおもてなしを予約するか疑問に思ったことはありませんか?
この図式のように、「見番」は料亭から(現在は浅草内外の行事の数々なども)予約を受け、芸者さんのスケジュールを管理するという役目を果たします。
さらに「見番」では料亭への代金(花代)請求・芸者さんへの支払いをするなど、芸能事務所のような所なのです。
午後の浅草見番の電話は忙しく鳴り、芸者さん・置屋・料亭の名前と時間の札の掛かった予約表を確認しながら、見番事務員さんがテキパキ受け答えします。
「浅草見番」に頻繁に訪れる芸者さん達
「浅草見番」建物内を見学しながら写真を撮っていると、いろんな人が出入りします。もちろん芸者さんも。
というのは、芸者さんはいつ予約が入っても良いように置屋で待機していて、仕事が入ると「浅草見番」に寄ってから料亭に出向くのです。
お仕事中ではない芸者さんの姿を近距離で見るのは初めてで、その姿は「はっ!」と息をのむ凛とした美しさでした。見た目だけでなく、立ち振る舞いも魅惑的なのです。
「浅草見番」に立ち寄ってから小雨の中、和風傘をさして風流な柳通りをお仕事に向かう芸者さん。
「浅草見番」と芸者さん達との連絡ポスト。芸者さんの粋な名前の数々が見えます。聖子姐さんのところにはミュージックテープが見えます。お稽古用でしょうか。
また「浅草見番」は芸者さんに“芸事”のお稽古場・お披露目のできる舞台を提供しています。
芸者さんの一日の日課は忙しく、毎日お仕事の前にいくつもお稽古があるそうです。皆さん芸事にとても熱心なのです。
壁に掛かったお稽古事科目の木札・お稽古場の棚に丁寧にしまわれた三味線
浅草花柳界の”日本で唯一”
ちなみに浅草花柳界には日本最後の男芸者(太鼓持ち)さんが5名(女芸者25名、計30名)残っています。
また、都内最高年齢90歳の芸者さん、ゆう子姐さんがいらっしゃいます。ゆう子姐さんは「いつだって今がいちばん。」というご自身のお座敷75年浅草芸者一代記の本を出されました。
三味線を舞台で演奏する都内最高年齢90歳の芸者さん、ゆう子姐さん(右)。
2013年10月5日浅草文化観光センターにて。
というわけで、今回は「浅草見番」から見た“浅草花柳界”入門編でした。
ちょっとだけ垣間見たような気分になれましたか?
現代、芸者さんになりたい人の就職活動・一見さんお断り制度の緩和などなど、もっと知りたいと思いませんか?
奥の深ーい浅草花柳界、これからも探求していきます。