2015.08.26 (Wed)
仏教の新しい伝えかた。『暗闇ごはん』代表・青江覚峰さん<ぶっとび仏教新潮流Vol.2 後編>
お盆の時期を迎えた今回は、ユニークなお寺やお坊さんに注目!かつてはコミュニティの中心として存在していた寺院。仏教離れが進む中、仏の教えを伝えるためにいままでの常識を打ち破った活動を展開しています。
Vol.2では、浅草にある浄土真宗東本願寺派・湯島山緑泉寺住職、青江覚峰(あおえ・かくほう)さんをご紹介。前編では、『暗闇ごはん』『彼岸寺』『向源』といった活動について教えていただきました。後編では、アメリカでMBAまで取得した青江さんが仏教に戻ってきた理由や、活動の根幹にある想いを伺います。
——青江さんはなぜ、アメリカから日本に戻ってきて仏門に入ったのですか?
青江さん 僕はお寺で生まれてお寺で育ちましたが、こどもの頃からずっと家業を継ぎたくなかったんです。そこで、親や親戚の手が届かない海外で暮らそうと考えました。でも、縁もゆかりもないところで一生暮らすには、それなりの武器が必要です。そこで、カリフォルニア州立大学に進んでMBAを取得し、在学中に同期と会社を立ち上げました。そうして忙しく働いていたときに起こったのが、9.11同時多発テロです。
僕はそれまで、英語、マーケティング、ファイナンスと、自分の武器をどんどん増やしていく方向に力を注いでいました。でも、9.11という未曾有の事態を前にしてできたことは、寄付と献血だけ。「自分は強い」と思っていたのに、身につけてきた武器は何の役にも立たなかったんです。
そのことに虚しさや生きづらさを感じて2年ほど悩んだ結果、全部捨ててしまおうと思いました。MBAなんてここ数年で身に付けたものはいらない、もっと言えば、国語算数理科社会の知識だって学校に入るまでは知らなかったものだからいらない。そうやっていろんなものを捨てていく中で、どうしても捨てられなかったのが“日本人であること”でした。
こうして物事を考えるのも日本語を使っているし、肌の色は黄色いし、顔も凹凸が無いのっぺりした顔。これはもう、捨てようとしても捨てられない現実です。いままで食わず嫌いしてきた日本の文化を学んでみたいと思いはじめ、2003年に帰国して築地本願寺で学ぶことにしました。
——仏教を学ぶ中で感銘を受けたことや、強く印象に残ったことはありますか?
青江さん たくさんありますが、ふたつお話しましょう。まずは、お経に書かれている龍樹菩薩の物語です。龍樹は豊かな才能に溢れた天才として有名でしたが、あるとき友人と「学問の誉れは既に得たからこれからは快楽に尽くそう」と決め、透明人間になる秘術を会得しました。それで何をしたかというと、宮廷に忍び込んで美女を全員犯してしまうんです。でも、悪事はバレて友達はみんな殺されてしまいました。このことから龍樹は愛欲が苦悩と不幸の原因であることを悟り仏門に入るのですが、すごい話でしょう。龍樹菩薩といえば、お釈迦さまの弟子の中でも一、二を争う存在です。それなのに、どうしようもない人なんですね。
なぜこんな話が載っているかというと、どんなに賢くどんなにすごい人でも、力を持てば悪いことをするし、失敗もすれば悩んだりもする。それが人間なんだ、ということです。僕はこの話が、アメリカにいた頃の自分と重なりました。武器を身につけるほど天狗になる、2千年前から人間は変わらないんだ、と。それを受け入れたことから、少しずつ生きづらさは解消されていきました。
——お経の中にそんな過激な物語が…。でも、そんな煩悩にまみれた人、悪事を犯した人でも変わることができるし、聖人と呼ばれている人も元々は普通の人間と同じなんだ、ということですね。
青江さん もうひとつは、浄土真宗の開祖・親鸞の話です。親鸞は、念仏を称える法然の弟子になるのですが、人々から「念仏を称えていると地獄に落ちる」と言われます。そこで親鸞が言った言葉が「地獄は一定すみかぞかし」です。「私は良き人、法然上人についていくことを決めた。だからその先が地獄なら、私の住処は地獄でいい」ということです。自分が信じると決めた以上、その結果は受け入れるしかない。私たちは普段、簡単に「信じる」と言いますけど、本当はその言葉はとても重いものなのだと感じました。
先ほど、僕は誘いを全て受ける、と話しましたが、そうして受けた先にたとえどんな地獄が待っていたとしても、自分で決断したのだから受け入れよう、と考えています。…そういった具合に、仏教の教えを取り入れることで生きやすくなるんですね。あくまでも僕の場合は、ですが。
——人間関係で悩んだとき、困難に直面したとき、仏教の考え方を知っていることで気持ちが楽になる、と。
青江さん 感じ方や捉え方は人それぞれ違うので、ある人にはキリスト教が合っているかもしれませんし、ある人には神道が合っているかもしれません。僕がお話できるのは仏教なので、その中で「いいな」と感じるものがあれば持って帰ってもらえたら、と考えています。
お経はお釈迦様の話を後世のお坊さんがまとめたものなんですが、そのほとんどが「如是我聞」から始まります。「お釈迦さまはこう話していました」ではなく、「私はこう聞きました、こう理解しました」ということなんですね。だから僕も僕の理解でお話をしていますし、それを聞いた人がどう解釈するかも自由です。
Facebookで例えるなら、“いいね!”や“シェア”が2000年間途切れることなく続いてきた、ということです。時代に合わなくなって途切れたものもあるかもしれないけれど、それでもしっかりと残ったものがある。その教えをきちんと後世に伝えていきたいと考えています。でも、頑張って伝えようとは思っていません。伝統だから守る、歴史があるから保護するのではなく、それがいいものだから自然と伝わっていく。そういうあり方を大事にしています。
——記事を読んで、青江さんの話をもっと聞きたい、仏教についてもっと知りたい、と思った人がいたら、どうしたらいいでしょうか。
青江さん まずは『暗闇ごはん』や『向源』に参加していただくのがいいかと思います。特に『向源』は通年でボランティアを募集しているので、そこに参加してもらえたら、近い距離感で色々な話ができます。
また、東東京には古くから続くお寺があちこちにあります。気軽にお参りにいって、住職がいたら話しかけてみてもらえたら、と思います。
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知っているようで知らず、近いようで遠かった仏教の世界。青江さんのようなお坊さんたちの取り組みによって、再び私たちの身近なものになってきています。この機会に、もう少しだけ仏教に親しんでみませんか?
8月特集:ぶっとび仏教新潮流
詳細情報
名称 | ■緑泉寺(りょくせんじ) |
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住所 | 〒111-0035 東京都台東区西浅草1-8-5 |
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