2016.01.21 (Thu)
大学講師から盆踊りDJまで! 文化庁メディア芸術祭異色の受賞者、岸野雄一さん
Perfumeの世界デビュープロジェクトや、Google発の位置情報を使ったオンラインゲーム、スマートフォンと連動した仮想現実……。文化庁が主催するメディア芸術祭エンターテインメント部門の受賞作品は、最新のテクノロジーを活用したデジタル作品が主流でした。ところが19回目を迎えた2015年、異変が起こります。
世界中から700件の応募があったエンターテインメント部門の大賞に選ばれたのは、子供たちのための音楽劇『正しい数の数え方』(冒頭の写真)。演劇と人形劇、アニメーション、音楽が混然一体となった、ミュージカル形式のインタラクティブなステージです。
この作品の企画・構成を手掛け、主演まで務めているのが岸野雄一さん。音楽や映画評論、バンドやDJ活動、レーベル主宰から東京藝術大学ほかの大学講師まで多岐にわたった活動を実践する岸野さんは、墨田区押上で生まれ育ち今も生活する生粋の東東京人です。受賞作品の背景や、地元への思いを伺いました。
制作期間わずか3カ月、多くの作家の力を借り完成
「言うなればものすごくハズレ弾。どこも狙っていない。審査委員の方々には、逆にそこが新鮮に映ったのでしょう」
取材場所に現れた岸野雄一さんは、ひょうひょうとした口調で、受賞の背景をこう読み解いてみせました。
受賞作『正しい数の数え方』はフランス・パリのデジタル・アートセンター「ゲーテリリック」からの依頼で制作された作品です。きっかけは、岸野さんの音楽ユニット「ヒゲの未亡人」のファンという同センターのキュレーターからのラブコール。正式オファーがあったのは、公演まで残り3カ月ちょっとという差し迫ったタイミングでした。
「ゼロからつくっていたのでは間に合わない。既存のステージの一部を拡大して、子供向けのショーを構成しよう」。そう考えた岸野さん。自身が率いるバンド「ワッツタワーズ」の人気曲『正しい数の数え方』をタイトルに掲げ、明治の興行師、川上音二郎に扮して犬のジョンと時空を超えた冒険をする、というミュージカル形式のステージを生み出しました。
音楽とシンクロするアニメーションは、舞台背景にもなります。3分から5分程度の短編を5組の作家が担当しました。「制作期間が限られた状況では、1本の長いアニメーションは無理。でも、パート毎に別々の作家にお願いすればいけるのではないか、と」(岸野さん)。以前から注目していた作家に加えて、東京藝大の教え子や活躍中の卒業生などにも声を掛け、それぞれ制作を依頼しました。新進気鋭のアニメーション作家が参加したバラエティ豊かな作品群とステージが、大きな世界観の中で違和感なく融合している点は、受賞理由の一つとなっています。
好評を博したパリ公演を受けて、2015年7月には墨田区のアサヒ・アートスクエアで凱旋公演を開催。さらに受賞作品展として2016年2月3日から14日までの日程で、国立新美術館での連日の公演とトークショーの開催が決まっています(詳しくは記事末尾をご覧ください)。
戦後初の押上の喫茶店、音楽に囲まれ育つ
一言で説明するのが難しい活動全体を包括して、岸野さん自身は「スタディスト(勉強家)」と名乗っています。一体どういう経緯で、“スタディスト岸野雄一”が形作られたのでしょうか。
岸野さんは1963年生まれ。実家は墨田区押上でパン屋併設の喫茶店を営んでいました。押上エリアではいち早く昭和28年(1953年)に開店し、コーヒーを求めて遠くから訪れる客もいるぐらいの評判店だったそうです。
喫茶店にはジュークボックスがあり、最新の洋楽から演歌まで幅広い音楽を浴びるように育った岸野さん。幼稚園に入園する前からお気に入りのレコードを取っ替え引っ替え聴くような、早熟な子供でした。やがて小学校に入ると、お店の上は学校帰りに仲間が集まる溜まり場に。中学生になる頃にお店は廃業したものの住まいは変わらず、高校になって交友範囲が広がるにつれ、「音楽や映画に興味がある人々が集まる、サロンのような場所になっていきました」と岸野さんは振り返ります。
時代はバブル経済の80年代へ。インターネットはまだ存在せず、大量の音源や映像に触れるためには、リアルの場に集まる必要がありました。そうして集まっているうちにいくつものバンドが生まれ、イベントやライブを主催するなど、先鋭的な活動を展開していきます。
この頃出入りしていたメンバーは、写真家・グラフィックデザイナーの常盤響さん、音楽家の蓮実重臣さん、岡村みどりさん、菊地成孔さんなど。後に活躍の場を広げていく面々が、ここから巣立っていきました。
岸野さん自身もバンド活動を続けつつ、音楽や映画評論の執筆、俳優として映画に出演。映写技師やレコード店の経営などを手掛けたこともあり、DJ活動、そして学問として音楽や映画を追求し続け教壇に立つなど、多彩に活躍しています。そのベースは、押上の自宅で過ごした濃密な時間にあるといってよいでしょう。
各地の盆踊りをリサーチ、地域の復権目指す
「墨田区、押上は好きな街。最近、面白さに気がついて引っ越して来る人が増えている。うれしいですよね」と話す岸野さん。「ヒゲの未亡人」でのヨーロッパツアー、台湾や韓国でのDJイベントなど世界を舞台に活躍していますが、50歳を過ぎて改めて地元を意識する機会が増えてきたといいます。
具体的な活動の一例は、墨田区全域を会場に展開する「すみだストリートジャズフェスティバル」への協力。ボランティアで企画に参加し、ミュージシャンの大友良英さんや菊地成孔さんの出演を実現しました。
また岸野さんには、東日本大震災以降、地縁を大切にする流れが生まれてきた中で注目しているイベントがあります。日本の夏の風物詩、「盆踊り」です。
「クラブやライブハウス、音楽が鳴る場所はいろいろありますが、盆踊りの会場もその一つ。さらに世代間の交流が進むということで、ものすごく重要な場だと思います」と、東東京をはじめ各地の会場を訪れてはリサーチを重ね、盆踊りの復権を目論んでいます。
例えば岐阜県南部や愛知県尾張地方では、荻野目洋子のヒット曲『ダンシング・ヒーロー』で盆踊りをする地域があるとのこと。東東京にも何カ所かかかる場所があり、日本橋の鉄砲洲公園のように、大瀧詠一が70年代に音頭を再解釈した名盤『LET’S ONDO AGAIN』を取り入れる所さえ出てきました。
その一方、旧態依然としたまま寂れていく盆踊りも数知れません。その違いはどこにあるのでしょうか? 岸野さんは「町内会の体質がカギ。従来ないものを面白がってどんどんやるところは開けていくし、やがて若い人も集まってくる」と話します。
こうした探求の成果を、押上周辺の町会の盆踊りにも持ち込もうとしていますが、そう簡単な話ではなさそうです。「まぁ時間がかかります。大事なのは“道路掃除”。道を掃いてゴミを集めていくところから、段々と認められていくものです」と岸野さん。
「日本中の祭りのやぐらにターンテーブルと(低音部を強調する)サブウーファーを持ち込んで、老若男女が踊れるようにしたい」という究極の目標に向けて、あくまで謙虚に地道に、地ならしから取り組みを進めています。
面白いことをやっていれば人は集まってくる
「自分は面白いと思うことをし続けているだけ」
そう言う岸野さんのまわりには自然と人が集まり、名を成していきます。岸野さんはそんな自分の立ち位置を、戦後フランスで活躍し「ヌーヴェルヴァーグの精神的父親」と称される映画批評家、アンドレ・バザンになぞらえます。「バザン自身は映画を撮ったわけではない。単著も少ないし時評に徹していた。その影響を受けた周囲の人々が、作品を形にしていったのです」。
その岸野さんが「やりたいことを“全載せ”した」という作品『正しい数の数え方』で、これまでの積み重ねを含めて評価されたのは、必然であるようにも思えます。取材終盤、実は芸術祭に「応募していたことさえ知らなかった」と明かす岸野さん。気を利かせた制作スタッフが、素材を編集してエントリーしていたというのです。
「受賞できて、参加いただいた方にも恩返しになった。今年1年は各国各地で再演をしていきたいと思います。地元の小学校でも公演してみたい」。そう話す笑顔が印象的でした。
■第19回文化庁メディア芸術祭 エンターテインメント部門大賞受賞作品
『正しい数の数え方』
プロデュース・脚本:岸野 雄一
ディレクション:伊藤 ガビン
演奏:ワッツタワーズ
出演:岸野 雄一、ジョン(犬)
声の出演:加藤 賢崇