2014.01.06 (Mon)
謹賀新年!浅草小噺―浅草寺の白馬@浅草
2014年、明けましておめでとうございます。
本年も、LwP magazineをよろしくお願いいたします。
皆さん、初詣にはもう行きましたか?元日の午後の仲見世通りは、下の写真の通り大賑わい! 「今年も人がいっぱいだねぇ」と言い合うベテラン参拝客も、「浅草に初めて来た!」とはしゃぐ学生たちも、列をなして本堂へと向かいます。
さて、今年の干支は午(うま)。
今日のLwP magazineでは、浅草寺で飼われていた馬の話をご紹介します。
観音様で飼われていた白馬と木製の馬
明治の初めまで、浅草寺の境内にあった閻魔堂のそばで神馬(しんめ)が飼われていました。神馬とは、神の乗用として、また祈願祈祷のため、神社に奉献する馬のこと。現在でも、三重県の伊勢神宮や香川県の金刀比羅宮などでは神馬を飼育しています。馬は高価な上に、小さな神社では世話するのが大変なため、平安時代以降、板に描いた馬の絵=絵馬で代用することが多くなりました。
浅草寺で飼われていたのは白い馬。馬の前では皿に盛った大豆が売られていて、豆が売れると管理人が飼葉桶に飼葉を入れてやり、馬は喜んで食べたのだそうです。また、生きた白馬のとなりには、木製の馬の像も置かれていました。
さて、本来、観音様を奉る浅草寺で神馬を飼う必要はないはず。なぜ境内で馬を飼っていたのでしょうか。実は、この馬は、三社様に奉献された神馬だったのだそう。明治八年に神仏混淆(こんこう)廃止の法令が出され、観音様の境内と三社様の境内に区別ができたために、浅草寺の境内から馬の姿はなくなりました。
現在、厩(うまや)の名残はありませんが、これから浅草寺にお詣りに行く方は、「馬がいたのはこのあたりかな~」なんてことを思いながら、本堂の周辺を歩いてみてくださいね。
参考文献:能美金之助著/1972/『江戸っ子百話 上』/株式会社三一書房