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2014.03.25 (Tue)

書き心地の“善い”ノートを|ヒガシ東京で働くVol.4 ツバメノート@台東区浅草橋【後編】

ツバメフールス紙という、オリジナルの筆記用紙を使ったノートは、書き心地だけでなく目にも優しい“善いノート”。台東区浅草橋にオフィスを構えるツバメノートは、昭和22年から変わらず、書き物をする人のためにノートを作り続けてきました。後編では、将来を担うツバメノートの新シリーズの話とツバメノートが重ねて来たコラボレーションの話を専務取締役の渡邉精二さんに聞きます。

パルテノン神殿をモチーフにした新デザイン

ツバメノートの表紙には、ずっと変わらないデザインが採用されています。格式があって、少し大人に背伸びするような感覚で、ぼくも大学生の頃に使っていました。この長く親しまれている表紙デザインに変わって、これからのツバメノートを担うノートが作られたそうです。

精二さん「ギリシャにパルテノン神殿があるでしょう。あの神殿の支柱の模様が格好良くて、デザインに取り入れようということになりました。大使館に行って、確認を取って表紙のデザインを決めたんですね」

写真を見れば分かるように、新デザインのノートには白で模様が描かれています。これはシルク印刷を取り入れた白なのだそうです。

ツバメノートの新シリーズ
ツバメノートの新シリーズ

精二さん「オフセット印刷を3回重ねてもこの白が出なかったんですね。そこで印刷担当から『渡邉さんの思う色は、シルク印刷でなら出るんじゃないか』と言われて、それで刷り上げたら『これだ!』と核心が持てました。これは一世風靡するぞ、これからのノートになるぞと思ったんですね」

ツバメノートの新デザインは市場に受け入れられ、ヒット商品になったそうです。人気の集まる商品は他社にも真似されるようですが、「それは良い」と精二さんは言います。

精二さん「このノートが今後のノート界の指針になるぞと世に出したんです。その通りの展開になったのは、業界に認められたという事で、自信になり、誇らしく思いました。例えばうちのノートが原型として出てきて、他社が他社のポリシーに沿いながらそれに似た商品を作っていても、それはそれで良いんです。業界が発展していくことが大事ですからね」

ツバメノートとコラボレーションするには

ディズニー等ともコラボレーション
ディズニー等ともコラボレーション

ツバメノートは新デザインの開発だけでなく、伝統のある旧デザインをベースとしたコラボレーションも行っています。ディズニーやハローキティーなどのキャラクターや草間弥生さんのようなアーティストまで、いろいろな方がツバメノートの表紙を扱ってきました。

ーーーコラボレーションは誰とでも組むのでしょうか?

精二さん「私たちに信頼して申し込んでくれていますので、特に誰とは組まないということはありません。ただし、ツバメノートの表紙として品性のある物かどうかは確認させてもらいます。コラボレーションと言ってもツバメノートから出る物なので、伝統のあるデザインの品格を保てる物を求めますね」

コラボレーションパートナーから渡されたデザインがツバメノートの歴史とうまく合わないようであれば、修正を伝えることもあるそうです。逆に、「こんなに素敵なデザインがあるのか」と感心したノートも提案されたことがあると言います。

精二さん「新潟にあるリュウド株式会社さんのデザインは、ノートをよく研究されているのが分かりました。表紙も凝っていましたし、オリジナルの製品も開発されていて、一番たくさん一緒にやっているところですよ」

実際にリュウド株式会社のノートを見せてもらいました。表紙が一面ペン画で描かれていて、「これもノートの表紙なのか!」と驚かされました。小学生の頃、絵の上手な友達がノートを自分の絵で飾っていたことを思い出せて、親しみも感じました。

リュウド株式会社のツバメノート
リュウド株式会社のツバメノート

ーーーツバメノートさんとのコラボレーションは何冊からお願いできますか?

精二さん「私たちの既製品のデザインにロゴマークやキャラクターを印刷するだけであれば、100冊からご一緒することもできますよ。表紙全体のデザインを変えるようであれば、例えば3000冊からという感じでしょうか」

思いのほか頼みやすい冊数で、思わず自分もお願いしてみたくなりました。

最後に「若い作り手にメッセージはありますか?」と聞いてみたところ、「どういう方が読まれるかわかりませんから、おこがましくて言えません」と答えてくれました。というのも、顔を突き合わせて商品開発をしていく中で、物作りに対する思いや情熱はデザイナーに受け継がれているものだからです。ノート作りに精を出した昭和22年、ツバメフールス紙を開発した際に十條製紙と交わしたやり取りと今も変わらず、一緒に物作りをする間柄になってはじめて思いを交換していけるということを教えてくれました。

この記事を書いた人/提供メディア

新井 優佑

インタビュアー/ノンフィクションライター。WEBマガジンやオウンドメディアの運用、寄稿をしています。出版社でスポーツ雑誌編集とモバイルサイト運用を担当したのち、独立しました。2014年は、手仕事からデジタルファブリケーションまで、ものづくりの記事を多く作成しました。1983年東京生まれ。

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